那覇市与儀にある飴作り工場、岸本製菓は昭和30年に創業しました。
当時23歳だった代表、岸本 恵治(きしもと けいじ)がどんな時代に、どのような経緯で創業に至ったかをご紹介します。
戦後の沖縄。
『ものがなかった』と語るように、生活に必要なもの自体何も無い苦労の時代。
職を求め、北部から中部、那覇へと長期間の軍作業へ度々家を離れるなか、
ある青年がバスの車中で菓子職人さんと隣あわせました。
那覇で飴作りをしてご商売をされてるその方に、
のちの創業者となる19歳の青年は即、働かせてもらえるよう申し込みました。
「給料はいらないので住み込みで働かせてください。」
頼る身内も知り合いもいない那覇でしたが、
寝るところもあって毎日ご飯も食べることができる働き口を見つけたのです。
お菓子屋さんでは朝から夕方までもっぱら行商(営業や配達)の仕事。
そして夜中は米軍基地での軍作業。
少しの睡眠時間でも、なにも疲れなかったと聞きます。
北部に待つ親兄弟に仕送りをしつつ、この生活を続ける中、
お菓子屋さんの飴つくりを見て覚えていったそうです。
家族への生活費を仕送りしながらも、お金を貯め、必要なものを揃え、独立の準備を整えました。バスでの出会いから3年後の事です。
まだ早すぎると、雇い主さんには言われたものの迷いはなかったそうです。
独立の承諾も得て兄弟に声をかけ、『岸本製菓』創業です!
四畳半一間の借屋で始まった飴作り。何だか目に浮かぶようです……
飴を熱してから成形するまではスピード勝負。気が抜けません。
少し油断すると、一気に温度が上がりすぎて焦げてしまったり、成形しづらくなってしまいます。固まりかけた飴たちがお互いくっついてしまうこともあります。
職人の集中力と手早さで、たくさんの美味しい飴が出来上がります。
近隣の小学校改築時に譲り受けた黒板を作業台にしていたり。天板の下に台替わりに使われている、粉などを保管しているタルがとてもレトロな容器だったり。今となっては見かけない電源のレバーがあったり、創業当時から使われている扇風機が、まだ現役で動いていたりします。